松本名誉教授 ロングインタビュー

1■作詞家の仕事を始めたきっかけ 2■作詞家という仕事 3■仕事を通してのやりがい
動画01仕事を始めたきっかけは…?
動画02コピーライター〜作詞家への転身
動画03先生にとって作詞とは? 動画04作詞の仕事をしていて「良かった」
と思うとき

動画05歌を唄ったり、楽器を演奏されますか?
4■オフの過ごし方〜テーマの見つけ方 5■感性の磨き方〜恋愛詞について 6■想い出深い作品
動画06一日のスケジュール
動画07映画などからインスピレーションを
受けることはありますか?
動画08アイディアのメモは使わない 動画09想い出深い曲について教えて下さい
動画10作詞の際に気をつけていること
7■作詞は「断片」…教授からのメッセージ



コピーライターの感覚で…
───松本先生が作詞家のお仕事を始められたのは、どのようなきっかけですか?動画を見る
松本教授(以下「M」):僕ねあの、元々コピーライターをやってたんですけど、
その時に周りから、その・・先輩から、松本の文章っていうのはリズム感がいいから、
作詞をやったらいいんじゃないの、っていうことを、なんとなく言われていたんですね。

作詞ってすごいのかな、とか思いながら、でも、人に言われる度に憧れって
どんどんどんどん膨らんでいったんですよ。
でそうこうするうちにある時その、コピーライターが作詞家に、
キャスティングされる時代があったんですね。
その時僕もあるテイチクの中田さんって言うテルさんっていう人から電話が来まして、
「是非1回お会いしたいんですけど」ということでお会いしたら、
実はこういうことでこういう新人がいるんだけど、
コピーライターの感覚で、新しい感覚でね、作詞しませんかっていう話だったんですね。
で僕書いたんです。
そしたらいきなりそれがシングルのA面に決まちゃったんですね。

そしたらキングレコードが、キングレコードの石井プロデューサーも、
「だったらせっかくだからB面も書いてください」っていうことで B面も書いて、
AB面両方、本当僕はまれだと思うんですけど、そういうことで、
すぐそういう風にして書いたものが・・・
まあ、もちろん直しは何回もありました。いっぱい。
でAB面僕が決まったんですけど、それが出た時にしばらくしたら、
色んな人から電話が来たんですね。
ちょっとあの作品聞いたんだけど、一回お会いしませんかということで。
レコード関係の人ですね。
知らない人だから、「誘拐されるかな」と思ったんですけど
誘拐じゃなかったですけど(笑)
じゃ今度うちでこういうことをやるからこういう新人がいるんだけど、
或いはこういうアーティストをやるんだけど、
トライしてみませんかということで、どんどんどんどん裾野が広がっていったんですよ。
でほんとに本当に僕の原点っていうのは、
そのかつて今は違うレコード会社にいらっしゃいますけどテイチクにいらっしゃった、
中田さんっていうディレクターからの電話一本で始まったんですね。

───電話一本で・・・
M:お互いがまったく知らない同士が初めてお会いして、
非常にこう打ち解けて、でやっぱりその、
人間として相性も良かったんでしょうね。きっと。

で僕のきっとあの、性格もわかっていただいて、
で、どんどんどんどんこう広がっていったっていう…。
ですからやっぱりね、あの、その時その時にどんな
みんなから先輩が「松本の文章は作詞家にいいんじゃないの」
って言われてたっていう。その時、なったとしても、
「作詞家っていいんだろうな。かっこいいな作詞家」っていうのがあったんですね。
そういうのに対して、言われると興味持つじゃないですか。
で目がそういう方に行ってて、色々と歌を聞いたりなんかしてた。
そういう素地があったから、初めてお会いした時にきっと上手くいったんじゃないかな、
っていう気がしましたよね。はい。

───話を聞いていてイメージも膨らんでましたし・・・
M: はい、作詞家ってこういうものだって、なんとなく自分で分かってきたっていうのも
ありましたしね。ということが作詞家のきっかけなんですね。はい。
人との出会いって、みんな最初は、ゼロじゃないですか。もしくは・・・あのまあ、ゼロですね。
そこからどういう風に築いていくのかっていうのは
その時その時、いかに、多分僕もね、その時作詞家がいいんじゃないか、
って言われてたってことがあって、ああこれチャンスだっていう気持ちがあったと思うんですよ。
ですから、でもやっぱり真剣にその中田さんっていう人の目に向かってましたし
一生懸命、「やりたい」っていう気持ちが先方に伝わった・・・
向こうから電話があったんですけども、やっぱりやりたいっていう気持ちが最初からあったわけですから、
それが先方に伝わったっていう熱意も受けとめられたんじゃないかなっていうことも感じますよね。
その時、生意気にこんな風にやって偉そうに「えーなんとか」って言ったら、
きっと僕は作詞家として今はないような気がしてますね。

───じゃ、出会いと熱意というか。
M: はい。

───いきなりシングルのA面ということだったんですけど、A面とB面ですね・・・。
こちらやっぱりびっくりされた…

M: やっぱり、びっくりしましたね・・・(笑)
嬉しかったですけど。

───初めてのお仕事でいきなり、っていうことはなかなか無いことですよね・・・?
M: ないですね。
やっぱり、あのね最初そうなんです、ほかもまあ、しばらくそうなんですが、
親戚とか親兄弟に電話して、買うように買うようにって言って
ものすごい自分でもプロモーションしましたよね。

───ところで、松本一起先生って、ご本名なんですか?
M: 昭和の昭に、数字のニ、次男ですから。昭ニっていうのが本名ですね。
(一起という名は)TBSの人が作ってくれたんですね。
“1回しか起きない”って言われますけども(笑)



好きなことを…
photo───そうしましたら、コピーライターから作詞家になられたというというのは、
割とスムースに移行された感じなんでしょうか?
動画を見る
M: えっと、それでただその作詞家で、シングル1枚出したとか
アルバム1曲出したとかって、数曲出したってそれじゃ生活できませんので、
やっぱり作詞家はどうしてもやっぱりまだ二次的でしたよね。

最初からですと、コピーライター中心にずっとやってまして、
僕がその作詞家ってもう、その専業でやろうって思ったのは
吉川晃司くんの詞をたくさんまた…。
これまた木崎賢治さんっていう、本当に有名なプロデューサーさんが
いらっしゃいますけども、その人が前からあなた松本一起って
面白そうじゃないか、会ってみたいということで、
ある人の紹介でお会いしたんですね。
そしたら意気投合して、で吉川君の今度の新しいアルバムで
ちょっと1回挑戦してみませんかって、是非是非っていうことで。
僕ね1枚のアルバムで、7曲、6曲、書いちゃったの。

───そしたら、大部分が先生の作品…
M: はい。
その時に、なんか渡辺プロダクションのその年の印税のベスト5に
入ったっていう・・・

で、そっから僕は作詞家に転向したんです。
やっていけるっていう自信もできたし、
ですからそれまでは、そうですね、年数にしたらやっぱり5、6年。
4、5年掛かったからね。作詞家とコピーライターっていう。

どうしたってコピーライターっていうのは、末締めの末払いっていう
ちゃんとした締め支払いがありますので、定期的にお金が入ってきますんでね。
ていうか食べていかないとどんな好きなこともできませんし、
どんな才能があっても、食べていくっていうことが大事ですから。
その辺はきちんと・・・たとえば、ま、僕だけじゃなくて、
僕やこの学校、スクールに来てる人たちもそうですけど。
好きなことをやりながら食べてく、
そういうものをどういうふうに利用するかですよ。生かすかですよ。

アルバイトもただ単に食べていくかじゃなくて、その中で何か見つける。
人との出会いの中で 新しいチャンスやきっかけ。こういうファッションがあるんだとか、そういう・・・。
アルバイトをやっててもそう、やるかどうかが。
ま、単純な話なんです。それが5年10年経つともう、ものすごい差になってますよ。
他の何もやってない人とやってる人じゃ。


きっと、僕はかなり自分が厳しい生活を知ってますので、甘いことになるんですけど
そういうことが大事かもわかんないですね。

ですから、コピーライターをやってる時も、コピーライターをやりつつ、
これを歌にしたらどうかということを常に考えました。

それがどうなるかわかりませんけど。だから、そういうことっていうのは、凄く大事ですよね。

───常に、今していることの中から作詞のことを結びつけていったりですとか、吸収していったりですとか
M: あの、恋愛と同じなんですよ。
恋愛っていうのは何してたってその好きな人のこと思うじゃないですか。
どんなことをやっててもその好きな人のことしかないですよね。
もしこれが違う女の子と、同級生の女の子と話してるんじゃなく、
これがもし彼女だったらと思うじゃないですか。それと同じですよ。

ま、作詞家って恋愛の仕事がほぼ、90何パーセント恋愛の詞が多いですから。
ですから、作詞っていうのは本当恋愛と同じだから。
普段みんな恋愛にそんなに必死になってる。
なんで作詞家の勉強する人が、ポンポンポンとその時その時で
表現できるのかなっていうのはちょっとわかんないんですけど。

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